お正月は、お餅を食べる機会が増えますよね。
くいしん坊な私、お餅が大好きです!
お正月じゃなくても食べたいくらいです。
お正月の終わりを告げる「鏡開き」では、お供えしていた鏡餅を食べる習慣がありますが、
なぜそのような風習が生まれたのか、知っていますか?
「鏡開き」の持つ意味や、由来について、調べてみました♫
そもそも鏡開きとは?
鏡餅は、お正月に家にやって来た年神様が宿る場所になっていて、松の内の間(門松を飾っておく期間)は飾る物とされています。
松の内が過ぎたら、神様の力が宿っていた鏡餅を食べることで、神様の力を授けてもらい、一年の無病息災を祈ります。それが、鏡開きです。
鏡開きではお供えしたお餅を食べることが、大切なことなんです。
なぜ鏡餅というのか?
鏡というのは、昔は青銅製で、丸い形をしていました。そこに神が宿るとされていて、神事に用いられていたそうです。
三種の神器の一つとも言われており、それをかたどった物が「鏡餅」と言われるそうです。だから、お正月では年神様が宿る場所、になっているんですね。
鏡開きの由来は?
鏡開きは、平安時代(794年~)の源氏物語にも出てきており、お正月に備えらるようになったのは室町時代以降(1336年~)のことだそうです。歴史が古いですね。
江戸時代に、お供えしたお餅を包丁で切る=切腹を連想する、ということから、鏡餅を小槌などで割るようになりました。さらに、「割る」を縁起の良い「開く」という言葉に代えて、現代まで「鏡開き」という名で日本の文化として定着しています。
鏡開きはいつ行うの?
松の内の期間がすぎたら、鏡開きを行います。
関東を中心にした地域は松の内が1月7日で、鏡開きは1月11日。
関西など松の内を1月15日としている地域では1月15日に行われています。
なぜ関東と関西で日にちが違うかというと、
元々は、どちらも松の内は旧暦で1月15日、鏡開きは「二十日正月」といって旧暦で1月20日に行われていました。
しかし、慶安4年(1651年)徳川三代将軍、徳川家光が亡くなり、月命日が20日だったため、関東など、徳川幕府の影響力が強かった地域では、その日を避けて松の内を7日、鏡開きを11日にしたそうです。
現在でも、京都など一部の地域では1月4日に行うところもあり、地域によって日にちの違いがあるようです。
鏡開きの行い方
現在では、小さなパックに入っている鏡餅を焼いたり、電子レンジでチンしたりして食べるのが一般的になっていますね。
しかし、本当の意味で「開く」ことをするのであれば、乾燥した鏡餅を昔と同じく、小槌などで割ってから食べることになります。
でも、なかなかそこまでするのは・・・・。
ですから、たとえ出来合いの小さなパック入りの鏡餅であっても、せめて正しい意味を知ってから、鏡開きを行いたいものですね。
まとめ
いかがでしたか?今までなんとなく鏡開きをしていた方も(私を含め)、由来や意味が分かることで、先祖代々から人々が親しんでいた行事を、より深く味わうことができるうと思います。
そして、子どもにも、飾っていたお餅をただ食べるのではなく、しっかりと意味を伝えてから食べるようにすることで、日本の伝統文化を知るきっかけになると良いですね。
おもち大好きな私も、今回の鏡開きは年神様に感謝して、電子レンジでチンして頂こうと思います♪(←分かってるのかこの人)